2009年3月10日火曜日

不平等

 世の中、不平等なことだらけである。どの家庭で生まれたかで、満たされた生活をする人もいれば、ひもじい思いをして揚げ句の果てには暴力を受けたり捨てられたりする。心理学によると人格形成要因の50%は環境によるものらしい。
 しかし、公然に境遇が悪いと認められた人達、あるいは動物たちにも募金という救いの手が存在し、それは少しでも平等な状態に近付けている。ボランティアの人達の活躍で相当な数の人達が救われているだろう。
 しかし、ボランティアや募金が悪いとは言わないし批判したくもないが、ボクはどうもこの募金という行為自体に納得がいかない。募金それ自体が不平等だからだ。世の中で不自由な暮らしをしている人は恐らく何億人、何十億人いるだろう。もちろんその中でも複数のハンデを持っている人もいるだろうし、動物愛護を含めたら程度の差はあれど星の数程あろう。では募金のシステムは全てを網羅できているだろうか?それは少し考えづらい。それは、ボランティアをしてくれる団体や個人がいるか否かという環境に依るのである。そこが今ひとつ附に落ちないのだ。
 また海外での心臓移植に対する募金活動や日本育ちの外国人の日本滞在延長に対する署名なども、マスコミに取り上げられるか否か、活動を協力する人がいるか否かに依ることも大きいだろう。なんとか一括して、不自由な人に分配できないものか。もちろん「夢」の記事で書いた通り、「貧しい」「不自由」の定義をする議論ばかりに腐心してはいけない。
 そしてボクは前述の記事で書いたように、テレビを介して苦しんでいる人たちや、もちろんそうでない人も幸せにしたいと思っている。しかし、それには限界があることも自覚している。砲撃されている真っ只中の人間を幸せにできる自信は正直ないし、まずもってテレビが身近にない人も大勢いる。そういう人にはどうしたらいいのだろう。真に世の人達全員を幸せいっぱいにすることなどできるのだろうか?ボク自信が夢見てるだけで終わりはしないだろうか?そんなことを考えては無力感を感じずにはいられない。

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