2009年5月5日火曜日

今感じる違和感

 社会人になって一ヶ月が経つ。正直一ヶ月程度では社会人とは何なのか、仕事とは何なのか今ひとつピンと来ない。そのせいか、まだまだ僕の中に学生気分が残っているのではという旨のことをよく先輩に言われる。ボクはその時大抵苛立ってしまう。すいませんとは言いつつも、心のうちは反発だらけである。
 なぜか。それは学生時代の自分にプライドを持って生きてきたからだ。ボクはまだ社会人一年生だが、学生時代に積み上げてきたコミュニケーション力や人間関係構築力を社会で充分に活かせられると思っている。もちろん、意地になってこだわるつもりもないし、これからの経験でどんどん変化させようと思う。ただ、ボクは鵜呑みにしたくないのだ。社会人のルールに違和感を感じ続けたいのだ。
 ボクはこの違和感を感じなくなってしまったら終わりだと思っている。こんなもんだと思って会社や社会のルールを無条件で受け入れてしまっては、ボクがこれまで積み重ねてきた知的世界が蔑ろになってしまう。ただ社会のルールにも合理的な根拠があるはずである。その根拠を知った上での反発でなければ、ただの反抗期の中学生である。ただの反逆者になっては、知的世界を狭めてしまうだけだ。例えば、宗教の教義は日本人からしたら意味の分からないものも多いが、きっと根拠はあるはずだ。イスラームでは豚肉は食べられないことになっているが、これはイスラーム地域の気候が生肉を保存するのに適していないからであって、恐らく豚肉にあたった人が多かったためこの教義ができたのではないか、というのは有名な話である。批判したり、拒否するのは簡単である。一歩相手の立場に立つことは重要である。だから、ボクはルールというものを絶対に鵜呑みもしないが、何かしらの根拠があることを信じて必ずまず受け入れることにしている。
 根拠があるかもしれないのだが、今のところ違和感だらけである。その中でも最たるものは目上の人との会話である。仕事の話ではなく日常会話である。あのリスクのないご機嫌伺いの会話は何なのだろう。ボクとしては会話に相手の地位なんか関係ない。もちろん礼儀は大いに重んじる。でも、むしろ相手の立場が上だからといって、自分の性格を変えたり、本音を隠すのは、それこそ失礼だと思う。違う時は違うといって、考え方がおかしいと思ったらおかしいという。ちゃんとツッコミも入れる。ツッコミも場合によっては乱暴にする。これで上司が不快感だったら仕方ない。謝るしかない。これがリスクだ。ただ、その不快感が一人間としてではなく、地位の違いから生まれるものだったら、少し悲しい。
 楽しませてもルール違反だと怒られる。楽しくなくてもルールを守れば好印象。それならばボクはどんどんルールを犯す。
 ボクは今後映像の世界に挑戦する日が来るまで、コミュニケーション力を鈍らせるつもりは無い。大衆とのコミュニケーションに決まりきった型など存在してはいけないのだ。

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