2009年3月9日月曜日

一言で人は救われる

 ある程度つらい経験なら、誰かが認めてくれれば報われるものだ。もしかしたら経験が美化されてしまう事もある。ボクもつらかった時期にちゃんと見てくれた人がいたから、そしてその時のボクを認めてくれたから、あるつらい経験が報われた。それは大学2年次の文化祭である。
 うちの学校では毎年2年生は専攻している言語の劇を行う。意外かもしれないが何ヶ月もかけて用意し、学校側も舞台装置に相当な投資をかけるほど本格的なものである。ボクはそんな大掛かりな劇のリーダーを務めることになった。積極的な性格を持って生まれたおかげで、ボクはこれまで様々なリーダーを務めてきた。何とか委員会とつくものは必ず選ばれたし、学級委員長や生徒会も何度も務めた。しかし、そういったリーダーは形ばかりのもので、実際決定権は先生にあったし、話し合いも結局「神の手」で話が決められた方向に進んだものだ。つまり、劇代表者で初めて本格的なリーダーシップをとる機会になったのだ。率直に言うと、力足らずだった。ボクは謙遜するのが嫌いだ。本当に至らない点が多かったと思う。ボクだけのせいとはさすがに言えないが、クラスが二分してしまったのだ。やる気のあるグループが、あまり劇の準備に関与しない人に苛立っていた。やる気がない方も勝手に話が進むことに不満を抱いていた。そんな水面下の対立が本番前1か月を切ったころに爆発してしまったのだ。ボクはまずこの爆発前に対立を認識していたものの、それを放置していたことを悔いている。保身の気持ちが強く働いていたのだ。対立の中にたつことで批判の的になることが嫌だったのだ。この対立がきっかけで話し合いが始まった。ボクは保身の気持ちを捨てなければ、と覚悟を決めた。この話し合いでボクは変わるんだという強い意志があった。でも結果は空回り。今考えれば当たり前である。それまで柔和に事を進めてきた人間が急にもの言うようになっても浮くだけである。結局臭いものに蓋をしたような話し合いになってしまい、とても悔しいかった。そして恥ずかしかった。その後もうちのクラスはぎこちない雰囲気が続き、皆を引っ張らなければならない立場のボクはつらいことが多かった。本番も成功には成功だったがいい思い出はほとんどなく、成功してうれしいというより、終わってホッとしたというのが本心であった。自分なりには人生で一番周りに気を配り神経を擦り減らした、結果的につらい数ヶ月だった。断っておくが「自分なり」というのは、社会で通用しないというのは分かっている。でも相当つらかったのだ。
 話は一年後まで飛ぶ。また文化祭の時期が近付いてきた。実はまだボクはクラスの他の人達と若干距離を置いていた。そんな中、後輩から劇への出演を頼まれた。人数不足で先輩から人員補充しようというのだ。当時、同期とうまくいっていなかったボクとしては後輩との繋がりは心の依り所だった。もちろん出演を快諾した。この時の気持ちとしては、後輩を助けたいというのに加え、不完全燃焼に終わった一年前の思い出を今回の劇で上塗りしたいというのも少なからずあった。結果的に前回より充実した時間を過ごせた。もちろん衝突もあった。またもやモチベーションの違いから来るものである。保身の気持ちを捨て腹を割った話し合いが完璧にできたわけではないが、ちゃんと皆で修羅場を味わえたし、ボクもある程度言いたい事を伝えられたと思う。
 そういった経緯があったからか、本番でははじけた。そして前回ではなかった心地よい達成感に包まれた。何より仲間と太いパイプでつながったのが嬉しい。
 でも、ボクが嬉しかった事はもうひとつある。それは前回の苦労をちゃんと見てくれていた人がいたことが分かったことだ。
 本番が終わり、演者と裏方は皆控え室に戻って大騒ぎをしていた。僕ももちろんテンションが上がりに上がってはしゃいでいた。そのとき一人の後輩がきて、ボクと話したい人が部屋の外で待っていると教えてくれた。足を運ぶとそこには佐野さんがいた。佐野さんとは、元劇団員で文化祭の外国語劇専任の講師のような人である。前回代表者だったボクはよく佐野さん主催のワークショップでお世話になっていた。とても忙しい人であるが、その時よく話もさせてもらった。そんな佐野さんが、後輩の代表者ではなくボクに用事があるという。何の用かと不思議な気持ちだった。佐野さんはまず、劇の内容や取り組みをほめてくれた。そしてボク個人にこういってくれた。「本当に稲生君にとって充実した劇でよかった。君は去年とてもつらい思いをしたんだね。ひとりで責任抱えこんじゃったりね。本当に良かった。」驚いた。佐野さんに一言も愚痴をこぼしたことはなかったのに何故そんなことが分かったのだろう。劇や練習風景を見れば分かるのか、はたまたボクが負のオーラを醸し出していたのか。
 また後日、後輩が本番前に佐野さんと話したときに、佐野さんはボクについて話していたらしい。「稲生君は去年クラスで監督の子が批判されそうになったときに、彼の壁になってまもっていたんだよ」これは恐らく当時の監督が佐野さんに話してくれたのだろう。確かにさりげなく彼が動きたいように動けるよう皆に話した記憶は無いでもない。ただ彼がそういう風に評価してくれていたんだと思うとちょっと可笑しく、また嬉しかった。
 ボクは監督に影ながら感謝しされていたことや、苦労してる自分を見てくれて認めてくれていた人もちゃんといるんだと分かった時、言葉にできないくらい幸せだった。本当の本当に幸せだった。その時から思い出が徐々に美化されている。

 これだから人間を止められない。

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