2009年3月6日金曜日

 ボクには夢がある。
 それはテレビの大プロデューサーなること。そして色んな人の心を揺れ動かしたい。感動させたい。笑わせたい。なにより日本をいい方向に持っていきたい。
 この場合何をもって「いい方向」かということである。これは「平和」とは何か?という議論と似ている。「平和」の概念なんて国によって人によって違うから「平和」は実現しないのでは?というなんとも学問的なそれである。そういう議論は大学で聞くことも多々会ったが、その時ボクは必ずこう言ってきた「君らは一生議論やっててください」。議論で平和が定義できたところで、本当に苦しんでいる人は平和を味わえないではないか。ならば、自分なりでいいから自分の平和のための活動を自分で実現しようとすればいい。だから動機はどうあれ海外で活動家として尽力している人などををボクは純粋にすごいなと思う。動機はどうでもいいのだ。議論で何とかなると思っているよりかは。かといってボクはなにか平和のために何かやっているわけではない。平和ももちろん大事なのだが、ボクはただ「いい方向」に持っていきたいのだ。
 ボクは人間の中に欲が存在する限り、差が生じるのは避けがたいことだと考える。するとやはり一部の人たちは程度の差はあれど苛酷な環境で暮らさなければならない。しかし、だからといって幸せになれないかといったらそうではない。ボクは平和でなくても幸せな状況を作り出したいのだ。
 具体的には「家族」の時間を取り戻したい。そういうと今より昔のほうがいい時代だったという、現代日本に流布した考えだと思われるかもしれない。大人達は「昔はよかった・・・」としばしば愚痴をこぼす。でもそれは違う。時代が変わっただけで、一概に今が悪いという考えには疑問が残る。
 人と人のつながりが希薄な昨今、特に家族間の場合は携帯やネットやテレビなどエンターテイメントの多様化が悪しき一役をかっている。ではそういった科学技術の産物を捨てればいいのか?それはあまりにもナンセンスである。時代にあった家族のあり方を模索していけばいい。テレビは家族の会話が減った主要因だと言われる。しかし、ボクはゴールデンタイムにテレビを消す家庭を増やすのは時代に合わないと考える。むしろ今は家族で楽しめる番組を皆がリビングに集まって楽しむ、のほうがふさわしいと思うのだ。家族が同じベクトルになるときって素敵だ。
 人間は人間がいるから生きている。これはボクの持論である。要は物質的にも精神的にも誰かが近くにいる、という状況の重要性をボクは説きたいのだ。では近くにいる存在になれる筆頭はやはり家族だと思う。家族とのつながりは人間が最初に携わるコミュニケーションの場であり、社会経験の基本的な経験である。ただこれは一般的な家族に限る話だ。たまに家族を疎く感じるものの、純粋に「家族っていいな」と思えるボクの恵まれた環境がそう思わせているのかもしれない。


 テレビ朝日系列「笑顔がごちそうウチゴハン」が好きだ。家族の空間を作り出そうとするこの番組はボクの理想でもある。ある回のゲストのジャガー横田さんは最後に感想を求められ、こう答えた「家族が皆で同じことして楽しむって素敵だなって思いました。私もこんな家族を作りたいです。」確かに番組のコンセプトにのっとったタレントさんとしての発言かもしれない。でもボクはこのシンプルでストレートな表現にいたく感動した。やっぱりまだまだ夢を追い続けたいと思った瞬間でもある。

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