2009年5月9日土曜日

苦笑

 この記事のタイトルは「にがわらい」ではない。苦しい時に笑う、という意味だ。ボクは苦しみながら笑って生きる。
 ボクはまだ24年しか生きていないが、辛いことだらけである。しかし、それがいいのだ。辛いことを経験すれば成長できる。そして辛いことを乗り越えた時に自分のことを好きになれることが、自分にとって大きなプラスなのだ。自分を好きになれても、もちろんもう一人の自分は冷めている。でも、辛いことを乗り越え自分を好きになると、ボクの周りの世界はキラキラ輝きだす。やはりいい人生か悪い人生かを決めるのは自分次第である。ボクはそんなキラキラ世界にしたくて、二者択一の道では敢えて険しいほうを選ぶこともある。しかし、それには相当な覚悟がいる。今までで最も腹をくくったのは、大学二年の時の壊滅的な人間関係を解消するべく立ち上がった時である。ボクは20年以上続けてきた保身の気持ちを捨て、生まれて初めて攻めの姿勢で本音で話すことを決意した。それが一番皆のためになると思ったし、何より自分自身の成長のためであった。ただ、個人的に発狂しそうなほどの覚悟であった。これほど自分を追い詰めたのは先にも後にもこの時だけである。
 実際、辛いことは大抵向こうからやってくる。その刹那ボクは嫌になる。溜息をつく。逃げたくなる。でも、心の中ではガッツポーズをとっている自分も存在する。やったこれでまた成長できる、充実した時間を過ごせる、と。会社ではいつもボクはビクビクしながら業務をこなす。できれば平穏に終業してほしいと思って仕事している。でも、平穏に終わったら帰るときがっかりする。充実感もないし、成長した実感もまるで無い。世界は鈍く輝いている。語弊があるが心の中ではハプニングなり予想外の出来事が起こることを期待しているのだ。単純に頑張る機会に飢えている。
 しかし、それではいけない。自分から日々辛い道を選ばなければいけない。ボクは上記体験では険しい道を進む覚悟ができた。ただ過去を振り返ると、ここぞという場面でボクは逃げてきた。そして周りに甘えてばかりで、マイナスの影響を与え続けた。マイナス1人前である。まずは受験である。ボクは二浪した。東京外大入学に妥協しなかったことはよかった。でも、特に苦労していない。ボクに二浪は辛い道ではなかった。むしろ興味本位で浪人生になりたかったというのもある。それに加え、親と生活しているがゆえ、お金には困らない、御飯、風呂、朝起きるのも親に頼ってばかりの楽な生活であった。外大を受け続けたのだって、親が期待してくれてただの肩書きがほしかっただの、なんとも受け狙いな動機である。また肝心な勉強も自分を追い込むことをせず、目の前の欲に負け続けた。これではとても辛い道とはいえない。部活においても同様のことが言える。日々の与えられた練習を楽にこなすことばかり意識して、ただこなすだけの練習であった。監督と周りの人間への受け狙いで練習していた。その割に、自分はよくやっていると感じていた。
 辛い道を望む自分と楽な道を望む自分の争いである。親はもう当てにしてはいけない。監督ももういない。辛い道を選ぶことが日常になれば、ボクはやっと0人前になれる。

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